2021年12月6日月曜日

サイバーフォーミュラマガジン。


 先日UPしたプラクションマガジンと一緒に出てきたサイバーフォーミュラマガジンです。
タカラさんで出していた『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』の玩具についてきた、B7判くらいの大きさのミニ小冊子です。私の手元にあるものはvol.6が抜けていて、これだけどこか別の場所に入れてしまったのか、買っていないのか、記憶が曖昧でわかりませんでした。もしいつか発見したら載せようと思います。

 当時、世間はF1グランプリがブームでした。早逝した伝説のレーサー、アイルトン・セナをはじめ個性豊かなかっこいいレーサー達が映画スターのようにもてはやされ、TVで中継をしたり、専門雑誌が何種類も出ていました。

 CFマガジンはそうしたF1雑誌のイメージで作ろう!というコンセプトで作られていました。飾られるイラストも、トーンを重ね貼りして陰影を多くつけ写真ぽく仕上げています。
表紙のかっこいいマシンのイラストは、当時REDで先輩だった相庭さんがすべて描いていました。私はキャラクター担当です。それまでREDで描いていたのは等身の低いキャラクターが多かったので、サイバーフォーミュラマガジンは毎号描くのが楽しかったです。

 TV放送時にアニメであまり登場しなかったレース回りの細かな設定は当時上司だった吉川さんが作っていて、CFマガジンにもふんだんに情報が盛り込まれていました。
新条くんがスカウトされる前にアオイで走っていたドライバーは私の名前が元ネタですw 他にも吉川さんチームで働いていた人達の名前がもじられて過去のレーサーの名前になってたりします。

 みのり書房から発行されていた雑誌『OUT』にも、同時進行でCFマガジンが連載されていました。そちらは読者がアニメファンだったので、キャラクター寄りの誌面でした。

SOKAI CLUBとかパロ伝とか。


 探しものがあって引っ越しの箱を開けていたら、なつかしいものが出てきました!

 タカラさんで出していた魔神英雄伝ワタルのプラクションシリーズのブックレット『SOKAI CLUB』と『プラクションマガジン』、『パロ伝』の小冊子類です。今ではコレクターの方々もいるほどのお宝アイテムです。
 以前REDカンパニーという会社に所属していた頃に、浅草のオフィスで描かせていただいていたイラストや漫画が掲載されているのです。絵を描く人はわかってくださるかと思うのですが、昔描いた絵は粗とかいろいろ見えてしまい、とても心臓に悪いです。

 『SOKAI CLUB』はまだ私がREDカンパニーへ入る前に作られたもので、私自身は制作に入っておらず描いた絵も載ってませんが、とても好きだったので今でも大切に持っています。

 おもちゃがただ組み立てて遊んで終わるだけのものではなくて、こうした小冊子や神部新聞のようなペーパーがついてくることで広がる世界観をもたせ、より楽しんでいただくことが出来ていたのが好きでした。そんなお仕事に関われたのも、とても楽しかったです。

2021年12月2日木曜日

浜田大地さん(北原空さん)のこと。

 プライベートな友人の話を書こうと思います。Twitterのフォロワーさんの中には、共通の友人が何人かいらっしゃいます。ご存知の内容でしたら読み飛ばしていただければと思います。


 以前私は後東渚さん(以下渚ねえ)、浜田大地さん(以下ハマ)と3人で同人サークル活動をしていました。
 知り合ったのはまだインターネットもメールも無い時代で、互いに生活環境が変わりバラバラになった後も、夜中に電話で何時間もおしゃべりしたり、家族にも言えない悩み事を相談しあったり、遊びにでかけるような友人づきあいが長く続いていました。喧嘩をしたわけでもないのに互いに疎遠になって何年も連絡を取らなかったこともありましたし、逆に近すぎたあまりケンカをしたことも一度二度ではありません。私が漫画を描いていた頃は、自分の仕事が空いていた時に手伝いに来てくれたことも何度かありました。

 ハマの訃報を、3人共通に親しい友人から伝え聞いたのは2012年の年明けでした。ハマへ年賀状を送ったところご実家のお父様から返信が届き、亡くなったと書かれていたと電話で伝えてくれたのです。
訃報を伝えてくれた友人、渚ねえを含む数人の連名でご実家にお供えの花を送り、お礼の電話をくださったハマのお父様と少しだけ話しました。とても気落ちなさっていて、今は思い出したくないから…と、力なくおっしゃっていたのをよく覚えています。

 ご実家が遠方で東京にいる友人達をご家族が把握していなかったこともあり、お通夜やお葬式にはこちらで知り合った友人はおそらく誰も参列していません。
訃報を聞いてしばらくした頃、一緒に花を送った友人のひとりが、「ハマのご実家の近県へ行った折に足を延ばして墓参りに行ったよ」と報告をくれました。遺影の写真も見せてもらったけれど、そこにあるのは昔と変わらぬ笑顔でどうにも実感が湧きません。
 一緒に歩いた街を歩くたび、本当は亡くなったなんて嘘で実は今でもどこかで元気にしているのではないかと思ったりする10年でした。

 彼女自身、いない場で語られるのをとても嫌がっていたことと、10年前のお父様の憔悴ぶりがあまりに痛ましかったため、この10年間ハマが亡くなったことを公に語ることはありませんでした。

 10年経ち、今年の春。
引っ越しの荷物整理中にみんなで遊んでいた頃の懐かしい写真が出てきました。写真の笑顔を見ているうちに、ようやく自分の中でも踏ん切りがついたというか、もう10年も経ったしいいよね、という気持ちになってきました。

 共通の友人の中には、まだ訃報を知らない友達がいるかもしれない。ハマのファンの方で、消息が知れず探している方がいるかもしれない。
もし私になにかあった時に、ハマの訃報を抱えたままいなくなるのは(その時は渚ねえがなんとかしてくれそうな気もしますが)そんな方々にあまりにももうしわけないではないかという気持ちになりました。


 ハマは、東映アニメーションの版権イラストを描く専門の仕事を長い間やっていました。セーラームーンを中心に、ワンピースやプリキュアも描いたことがあると聞いています。これらはいずれも名前の出ないお仕事ですが、セーラームーンはお仕事をやっていた期間も長く作品も多かったため、ファンだった方はハマの描いた版権絵を何度かは目にしているかと思います。プリキュアでも5くらいまではハマの描いた絵かなと思うものが見かけられました。

 名前の出たお仕事としては、浜田大地、北原空のペンネームで書籍の表紙や挿絵のイラストを描いていました。
北原空の名義で参加していた『鉄道むすめ』という鉄道&ご当地企画はとくに幅広くいろいろ描いていたようです。最初は版権絵を描いていて、ゲーム化された際には原画やサブキャラクターデザイン等、かなりたくさん描いていました。ハマがジャケットを描き「版元からたくさんもらったから」と言って私にくれたキャラクターソングCDは今も持っています。

 今日12月1日はハマの10年目の命日です。もしハマをご存じの方がいらしたら、思い出してくださると嬉しいです。